アデルの2015年の名曲『Hello』は、誰かに電話をかけ留守電メッセージを残している状況を描写した曲です。
アデルは、一体誰に電話を掛けているのでしょうか?
世間では元彼説や父親説が挙げられていますが、真相はどうなのでしょうか。
歌詞や英文法、彼女のインタビュー記事から、電話の先には誰がいるのかを考察します。
【文法のおさらい】is/was wondering: 現在形と過去形の違い
歌詞の冒頭、Verse 1でI was wondering~という表現が登場します。
「もしもし、私(Hello, it’s me)」と電話での会話を想起させるフレーズから始まり、そのあとにI was wondering~と続きます。
ここは、なぜis wonderingではなく、was wonderingになっているのか、疑問に思いませんか?
isを使うか、wasを使うかでニュアンスが異なるので、一緒に文法をおさらいしておきましょう。
●現在形を使う場合
I’m wondering if you can help me tomorrow.
(明日、手伝ってほしいなと思って)
●過去形を使う場合
I was wondering if you could help me tomorrow.
(明日、手を貸していただけないでしょうか)
上の例を見てもらうと分かる通り、過去形を使うことで丁寧さが出ています。
※Can youをCould youに変えると、より丁寧な表現になるのと同じ原理です。
過去形とは、単に時間的な過去を表すだけでなく、人間関係に距離があるときに使う表現でもあります。
ここの文法の確認が、後のyouをめぐる問題で重要になってくるので、頭の片隅に留めておいてください。
【考察】Youは誰なのか?
では、本題に入りましょう。
アデルが電話を掛けようとしている相手は誰でしょうか。
まず前提としてアデルは、インタビューで「特定の人物ではない」と答えています。
「友だちであったり、元彼であったり、自分自身であったり、家族で会ったり、ファンであったり、特定の人物についてのものではない」と。
だったら、この記事の議論は不毛だと思われるかもしれません。
確かにそうかもしれません。
しかし、それだとせっかく記事を読んでくださっている方には何のメリットもないことになります。
なので、彼女が語っているインタビュー内容や海外の記事を調べ、根拠をもとにyouが誰を指しているのかこのサイトでの結論を出したいと思います。
元恋人説
まず浮かぶのが、しばらく距離を置いていた元恋人ではないかという考えです。
しかし、先ほどおさらいした文法の箇所から考えると、元恋人に対して改まった言い方をするのはやや不自然に感じます。
まあ、皮肉を込めた言い回しとして、あえて疎遠になった元カレに丁寧表現を使ったとも考えられなくはありません。
しかしこの元彼説については、のちのインタビューでアデル自身が否定しています。
さらに、歌詞からも相手は元恋人ではない雰囲気が感じられます。
それは、歌詞全体をとおしてアデルが相手に何度も謝罪しているからです。
前アルバムで大ヒットとなった「Rolling in the Deep」で、元恋人への恨みつらみを表現している彼女が、元恋人に謝罪するとは思えません。(もちろん「Hello」と「Rolling in the Deep」の相手が同一人物かどうかは定かではありませんが。)
もう1箇所、Verse 1のthe world fell at our feet(世界が私たちにひれ伏した)という表現がありますが、ここも元恋人として読むと違和感を感じます。
父親説
海外の記事を読んでいると、youは父親ではないかという説が挙がっています。
アデルの父親マークはアデルが幼い頃に家を出て行き、2人の関係は修復不可能な状態でした。
しかし、マークに癌が見つかったことをきっかけに関係を修復したと報じられていますが、この情報はマークが発したもの。
つまり、アデルは関係を修復したと認めていません。
さらに2021年5月にマークが癌で亡くなった際、最後まで2人の関係が修復することはなかったと報じられています。
実際、2017年のグラミー賞のスピーチでアデルは「I don’t like my dad(父親は嫌い)」と言っています。
関係修復の有無は本人たちにしか分かりませんが、報道記事を読んでみても2人の見解が食い違っていると判断せざるを得ません。
憎い父親に対して自分が謝罪するような内容の曲を書くとは思えません。
それに、元恋人説で例に出した「世界が私たちにひれ伏す」の箇所に矛盾を感じます。
自分自身説
私は、この「アデル自身説」が最も有力な説だと思います。
この曲が収録されているアルバム『25』のテーマは、「埋め合わせ」だとアデルは語っています。
誰に対する埋め合わせかというと、それは「自分自身」に対してです。
彼女は10代で若くして成功し、常に音楽活動に時間と人生を割いてトップを走り続けてきました。
そして、いつの間にか時間が経ち気が付けば20代後半。
アルバムは、自分の失われた時間を埋め合わせるためのものだと自身が語っています。
そう考えると「世界が私たちにひれ伏す」の箇所は、Weのどちらもアデル自身なので合点がいきます。
矛盾点があるとすれば、文法解説したI was wondering~の箇所です。
なぜ自分に対して丁寧な表現で電話しているのでしょうか?
ここで文法の話に再度戻りますが、過去形のニュアンスは「過去のこと」を表すより「遠い」ことを表します。
過去形の使い方は主に下の3つです。
ここからは私の推測になりますが、過去形の「遠い」というニュアンスをうまく活用して、物理的な遠さのニュアンスも若干含んでいるのではないかと思われます。
電話を掛けているアデルはカリフォルニアにいることが、Verse1で判明します。
カリフォルニアは作曲とレコーディングでしばらく滞在していたそうです。
しかし仕事とキャリアのためとはいえ、大好きな母国イングランドを離れたためホームシックになり自暴自棄になっていたとインタビューで語っていました。
なので、この曲のアデルはカリフォルニアの仕事場からイングランドの自宅電話に掛けているのではないかと思えます。
歌詞の表現を拝借すると「100万マイル」も物理的に離れているので、その遠距離電話の遠さを過去形で表したかったのではないかと思います。
まとめ
インタビュー内容や歌詞の解釈から、アデルが電話を掛けている相手は「アデル自身」だと判断しました。
自分の過ちを謝罪し、自分と対話しよう、今の自分と向き合おうとする強い思いがこの歌詞から感じ取れます。
この曲で使われているyouやwe/usは、同一自分、つまりカリフォルニアから電話しているアデルと、その留守電を聴くことになるアデル、と解釈すると「私が電話をかける時は決して家にいないようね( But when I call, you never seem to be home) 」という箇所も、アデルが不在時は自宅に電話を掛けても誰も電話に出ないので腑に落ちます。
昔、日本の某テレビ番組で自分宛てにビデオレターを送るというコーナーがありました。
この曲は、ビデオレターならぬ、自分へのテレフォンレターなのかもしれません。
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