Queen「Bohemian Rhapsody」に学ぶ教養

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Queen-Bohemian Rhapsody Queen

スカラムーシュに、ファンダンゴに、ビスミラに…。

クイーン(Queen)の名曲「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)」には、進んで辞書を引かないと意味を理解できない、まるで呪文のような固有名詞とそこから得られる教養が詰まっています。

この記事では、そんな固有名詞の意味を確認して教養を得つつ、なぜ作詞を行ったフレディはその言葉を歌詞に入れたのか考察していきます。

【1分でわかる】歌詞のストーリーのあらすじ

本題に入る前に、歌詞のストーリーを確認しておきましょう。

★ボヘミアン(Bohemian)の意味:社会の規範に縛られないで、自由奔放に放浪的な生活をする人
★ラプソディ(Rhapsody)の意味:自由な形式によって楽想を展開する器楽曲。狂詩曲。

『明鏡国語辞典』
歌詞のあらすじ

この曲は、現実か幻かの判断もつかない錯乱状態の語り手≪I≫が、母親にある告白をするところから始まる。

その告白とは、とある男性を銃殺したというものだった。

語り手≪I≫は、後悔と恐怖の念に溺れつつ、母親や皆に別れを告げ、真実と向き合う覚悟を決める。

人を裁けるほど権威ある存在≪we≫の前で、見逃してほしいと命乞いをするが、赦しを得ることはできず、悪魔に拷問されることを想像して、その場から逃げ出す。

「どうなろうと、どうでもいい」と呟く語り手≪I≫の生き方は、まさにボヘミアン(自由奔放)であり、この曲は、そんな語り手≪I≫のラプソディ(型にはまらない自由な楽曲)であった。

(1) スカラムーシュ(Scaramouche)の意味は?

まず、辞書の意味を確認します。

イタリアの即興喜劇(コメディア‐デラルテ)の道化役黒い衣装をつけ、ほらをふき、空いばりする臆病者。17世紀の名優フィオリリによって完成されたという。

デジタル大辞泉

辞書の内容で気になったポイントは2つ

1つは、外見的特徴の「黒い衣装」です。

もう1つは、内面的特徴の「臆病者」です。

この2つの点から、なぜフレディは「スカラムーシュ」という言葉を出したのか考察してみます。

まずは外見的特徴から。

≪スカラムーシュ≫が出てくる直前の歌詞は、≪男の小さなシルエットが見える≫です。

シルエットとは、黒く塗りつぶされた人や物の輪郭のことですよね。

スカラムーシュは全身黒ずくめ。シルエットは輪郭が真っ黒に塗りつぶされています。

そして、この箇所のMVを確認すると、道化師のような変わった格好をしたフレディのソロショットに後ろからライトが当てられ、フレディの体の輪郭が真っ黒に見えます。

つまり、フレディは自分とスカラムーシュには重なるものがあって、この言葉を選んだのではないかと想像できます

たとえば、すぐあとの歌詞≪落雷と稲光が私をひどく怖がらせているでは、雷をひどく怖がっている≪私≫(→フレディ)と、臆病者のスカラムーシュの内面的特徴に重なるものがあります

以上のことを踏まえて、≪小さなシルエット≫の部分に注目してみたいと思います。

なぜ、敢えて“小さな”という形容詞が使われているのでしょうか?

フレディの中で、道化師のように振舞ってきたスカラムーシュのような一面が消えかかっている表れなのではないかと推察します。

(2) ファンダンゴ(Fandango)の意味は?

まず、辞書の意味を確認します。

スペインのアンダルシア地方に伝わる民俗舞踊。フラメンコのなかでも代表的なもの。男女一対の踊り手がカスタネットを奏し3拍子で踊る求愛舞踊で…

ブリタニカ国際大百科事典

テンポのいい活気あふれるダンスを表すことから、クイーンの公式MV和訳動画では≪スカラムーシュ、ファンダンゴを踊ってくれるかい?と訳されています。

確かに「ファンダンゴ=民族舞踊」と解釈することもできますが、辞書の内容をよくよく見るとこの解釈には疑問が残ります。

なぜなら、ファンタンゴは一般的に男女二人で踊る求愛舞踊と定義されているからです。

この歌詞パートは、歌詞の語り手≪私(I)≫が、とある男を銃殺し母親や皆に別れを告げて何者かに裁かれるようなシーンです。

そのような状況下で、歌詞に登場しない女性(?)とスカラムーシュが求愛ダンスを踊るにはストーリー的に唐突感があります。

そこで、次の見出しで別の可能性も考えます。

【検証】モーツァルトの『フィガロの結婚』から引用?

スペイン起源のファンダンゴは、ヨーロッパ全土に広まり、バレエやオペラにも使用されるようになりました。

中でも有名な作品が、モーツァルトが作曲を行ったオペラ『フィガロの結婚』です。
(偶然か必然か、≪フィガロ≫という言葉は、すぐあとの歌詞に登場します。)

では、ファンダンゴはどのようなシーンで使われているのでしょうか?

ファンダンゴは、『フィガロの結婚』第3幕の婚礼シーンで演奏されます。

花婿のフィガロと花嫁のスザンナが、めでたい祝いの席でファンダンゴを踊るのです。

このように『フィガロの結婚』で演奏されるファンダンゴは、前項で確認した辞書の意味どおり、男女二人で踊る求愛舞踊の意味合いで使われています。

これも同じく、曲のストーリー展開とは相反します。

【検証】絞首刑の足のバタつき?

海外サイトGeniusやQuoraでは、ファンダンゴはスラングの“hemp fandango”を指しているのではないかという説があります。

そこで、“hemp fandango”の意味を辞書で確認します。

hemp fandango:
a name used to describe a person being hanged- hemp from the rope and fandango from the lovely girations of the hangeds feet while the try to touch the ground

Urban Dictionary

拙訳:絞首刑に処せられた人を表すために使われる名前。麻(hemp)はロープを表し、ファンダンゴ(fandango)は地面に着こうとする絞首刑の見事な足の揺れを表している

つまり、麻縄で首を絞めつけられた絞首刑の足のバタつきや痙攣を、テンポのいいファンダンゴで表しているというわけです。

なんとも恐ろしいスラングですが、殺人の告白から始まる歌詞のストーリー的には合点がいきます。

この解釈を歌詞に当てはめると、≪スカラムーシュ、あなたは首を吊ってくれない?≫という意味になります。

そして前述したとおり、スカラムーシュはフレディを表していると考えると、フレディに対して死を促していると解釈できます。

歌詞冒頭で男を銃殺しているわけですから、≪ファンダンゴ(求愛ダンス)を踊ってくれる?≫と解釈するよりも≪首を吊ってくれるか?≫と解釈する方がストーリーの唐突感はなくなります。

【(1)(2)まとめ】スカラムーシュとファンダンゴが表すもの

スカラムーシュはフレディを暗に指し、ファンダンゴは絞首刑のことを指すのではないかと前述しました。

では、このパートで言いたかったことは何なのでしょうか?

巷では、この曲はフレディが同性愛者であることをカミングアウトした曲ではないかと解釈されています。

自分でも考察してみて、その可能性は十分あるように思います。

歌詞冒頭で銃殺する相手は、異性愛者と偽り道化として取り繕っていたスカラムーシュ的な自分で、そんな自分とサヨナラしたかったと捉えることができます。

スカラムーシュの内面的特徴として、辞書には載っていない情報に、「女好き」があります。

女好き・(カミングアウトできない)臆病さ・道化として演じ切ること。

これらのことから、スカラムーシュと世間に見せている偽りの自分とを重ね合わせ、そんな偽りの自分を絞首刑にして葬り去ろうとしていると解釈できます。

(3) ガリレオ(Galileo)の意味は?

ガリレオ・ガリレイは、16世紀イタリアの天文学者として有名な歴史上の人物です。

キリスト教の世界で絶対的な真理として信じられてきた「天動説」を覆し、「地動説」を提唱したことで、圧倒的な権威を持っていたカトリック教会から有罪判決を受け、晩年は軟禁状態で生涯の幕を閉じました。

(4) フィガロ(Figaro)の意味は?

18世紀フランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェの作品に“フィガロ”を主人公とした作品が3つあります。

『セビリアの理髪師』、『フィガロの結婚』、『罪ある母』です。

この3つをまとめて「フィガロ3部作」と呼ばれています。

教養として3作品のあらすじをまとめました。

1分でわかる『セビリアの理髪師』のあらすじ

大貴族のアルマヴィーヴァ伯爵は、ロジーナという娘に一目惚れする。

ロジーナは両親を亡くし莫大な遺産を継いで、後見人のバルトロの家に身を寄せていた。

しかし、そのバルトロは財産目当てでロジーナとの結婚を目論んでいた。

バルトロの企みを阻止すべく、伯爵は街の何でも屋で理髪師のフィガロの助けを借りる。

フィガロの協力を得て、伯爵は最終的にロジーナとめでたく結ばれるのであった。

1分でわかる『フィガロの結婚』のあらすじ

アルマヴィーヴァ伯爵とロジーナの結婚を取り持った功績が認められ、伯爵の家来となったフィガロ。

そんなフィガロが伯爵夫人に仕えるスザンナと結婚する当日、伯爵が夫人のロジーナに飽きて、スザンナを誘惑している事実を知り、憤慨する。

そこで、フィガロ・スザンナ・ロジーナ夫人の3人は、伯爵を懲らしめるための作戦を考える。

作戦が功を奏し、伯爵は深く反省して夫人に謝り、大団円を迎えるのであった。

※この作品は、従者であるフィガロが主人である伯爵に反旗を翻し、君主制に抗議する姿勢が描かれた作品です。

1分でわかる『罪ある母』のあらすじ

前作『フィガロの結婚』から20年後を描いた作品。

伯爵と夫人には、息子レオンと知人夫妻から引き取った養女フロレスタインがいた。

しかし、その息子は夫人が不倫してできた子で、その養女は伯爵が不倫してできた子であった。

自分たちの出生を知らないレオンとフロレスタインはお互いに惹かれ合っていく。

そこに伯爵の元秘書が現れ、フロレスタインとの結婚と伯爵の財産を狙って一家をかき乱していく。

元秘書の計画を阻止するため、フィガロとスザンナが活躍。

最終的に、伯爵夫妻はお互いの罪を許しあい、レオンとフロレスタインの関係も誤解が解けて、2人の進展の可能性を残して物語は幕を下ろすのであった。

【(3)(4) まとめ】ガリレオとフィガロの共通点

ガリレオはキリスト教に対し、フィガロは『フィガロの結婚』で伯爵に対して異論を提唱しています。

自分よりも圧倒的に強い権力を持った者に屈することなく自分の考えを説いた立派で素晴らしい(magnifico)人物という点で、この2人は共通しています。

ガリレオとフィガロの功績を讃えたうえで、このあとに続く歌詞では自虐的に≪自分はただのお粗末な子、誰からも愛されやしない≫と歌ってる部分が何とも対比的で切ないです。

(5) ビスミラ(Bismillah)の意味は?

ビスミラは、アラビア語で「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」という意味で、神の加護を願う定型句だそうです。(Wikipedia「バスマラ」参照)

この言葉は、重要なことを開始する時(食事前、旅行前、ベッドに入る前 etc.)や、無事に物事が終わった時(食後、病気が完治した後、旅を無事に終えた後 etc.)など、日常のさまざまなシーンで使われるそうです。

これはたとえば、食前に言わないとサタンやその仲間たちと一緒に食事をすることになるし、家へ入室前に言わないとサタンや悪魔たちが一緒に家の中に入ってくると信じられており、悪魔除けの意味合いもあります。

しかし、なぜここでイスラーム教にまつわる言葉が登場するのでしょうか?

フレディは、イスラーム教徒ではありません。

影響を受けている宗教と言えば、イスラーム教ではなくゾロアスター教です。

自身の葬儀をゾロアスター教のやり方に則って行ったほどです。

これは両親の影響によるもので、フレディの両親はパールシーなのです。

パールシーとは、イスラーム教徒に追われてペルシア(現イラン)からインドまで逃れてきたゾロアスター教徒を指すことばです。

フレディの祖先を故郷から追い出したイスラーム教徒。

そんなイスラーム教の言葉をなぜフレディは唱えているのでしょうか?

同性愛について宗教間で違いがあるのかと思えばそうではなく、ゾロアスター教であってもイスラーム教であっても等しくタブーとされています。

では、一体なぜ?

話が現代に逸れますが、2014年~2016年にかけて、イスラム過激派イスラム国(IS)の世界的テロ行為が世界を揺るがしました。

彼らの事件の中で印象に残っているのは、宗教をチェックするためにコーランを暗唱できるか人質に求め、暗唱できれば命は助け、暗唱できなければ拷問され、しまいには殺害されたというものです。

イスラーム教徒であれば見逃され、異教徒であれば拷問か死が待っていたのです。

そこで、世界のどこに出没するかわからないISメンバーに出会ってしまってもイスラーム教徒のフリができるように、イスラーム教の慣用表現を覚えて、自分の身を守ろうという考えが一部でありました。

話を歌詞に戻すと、フレディが声調を変え、ひときわ太い声色でビスミラと歌っているのは、イスラーム教徒のフリをして何とかその場をしのぐためなのではないかと解釈しました。

祖先にまでさかのぼる歴史的背景によって、歌詞に出すほどゾロアスター教徒にとってイスラーム教の存在は大きかったのではないかと思います。

2006年、フレディの出生地ザンジバル(タンザニア)である事件が起きました。

フレディの生誕60周年を記念して、ザンジバルで記念イベントが行われようとしたが、イスラム教団体が反対の抗議を行ったそうです。

ザンジバルではほぼ100%がイスラーム教であり、2004年に法律で同性愛を禁じている場所です。

その地で、同性愛者だったフレディを祝うことは宗教的に良くないとして、イスラム教団体の代表が声明を発表したようです。

そのイベントが最終的にどうなったのかは不明ですが、スターを生んだ地であっても宗教観によって素直に生誕をお祝いできないのはモヤモヤした感情が残ります。

(6) ベルゼブブ(Beelzebub)の意味は?

まず辞書で意味を確認します。

ベルゼブル(Beelzebul):新約聖書の福音書に出てくる悪魔の首領の名称。サタンの別名とされている。ベルゼブブともいわれるが,これは旧約聖書『列王紀下』に1度出てくる「バール・ゼブブ」に影響されたものと考えられる。

ブリタニカ国際大百科事典 

ビスミラでイスラーム教の表現が出たかと思えば、ベルゼブブはキリスト教とユダヤ教にまつわる言葉です。

ベルゼブブは悪魔の首領というくらいなので、たくさんの悪魔を付き従えていることが容易に想像できます。

歌詞では、罪を犯した語り手のためにベルゼブブがとっておきの悪魔を用意しているというわけです。

【(5)(6) まとめ】ビスミラとベルゼブブにみる宗教観

ビスミラはイスラーム教と関連した言葉で、神の加護を受けたり悪魔を遠ざけたりするニュアンスが含まれる言葉でした。

ベルゼブブはキリスト教・ユダヤ教と関連した言葉で、ほかの悪魔を従える悪魔の首領を指す意味でした。

フレディはゾロアスター教である一方で、歌詞では異教徒の言葉を選んでいるところは、ボヘミアン(自由奔放な、型にはまらない)な感じが強調されているように思います。

また、直接的にゾロアスター教と関連した言葉を出さずに、異教徒の言葉を選んだのは、自分が裁かれるのは信仰しているゾロアスター教ではなく、別の宗教だと勘ぐっている表れなのかもしれません。

世界最古の宗教であるゾロアスター教は、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム教に影響を与えた宗教です。

それは、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の教義の中に、ゾロアスター教の教えと共通するものがあるほどです。

そんなゾロアスター教と関わりの深いほかの宗教の言葉を敢えて選んでいるのも、意味があるように思います。

さいごに

フレディ「詞はリスナーのもの」
ブライアン「説明は興ざめだ」

映画「ボヘミアン・ラプソディ」で、この曲の歌詞の意味について聞かれた2人は、こう答えました。

私も同意見です。

だからこそ、歌詞の解釈にはたった一つの正解がないし、歌詞に出てくる表現からヒントを得てあれやこれやと考察する面白さがあります。

また時間を置いて聴いた時、別の解釈や視点をもてるようになったら、追記・更新したいと思います。

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