人は何かと依存しやすい生き物だ。
ゲームに依存する男と、その男に依存する女の話。
はじめてラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)の「Video Games」を聴いたときの感想は、それだった。
しかし、そんな恋愛依存症の話で片付けられるほど、シンプルではなかった。
この曲について、ラナはインタビューでこう答えています。
「ヴァースは、仕事に対する野心よりも恋愛を優先していた時に付き合っていた彼とのこと。コーラスは、長く想いを寄せていた過去の別の人のことで、こうなればよかったのにと願ったことを歌詞にしています」
(註:ここで言っているヴァースは、ヴァース1のみを指していると思われます。詳しくは後述します。)
要約すると、ヴァースは当時付き合っていたときの相手、コーラスは願望が込められた過去の別の相手ということ。
二人の男性をとおして、理想と現実の狭間を行き来する複雑で切ない曲です。
それでは、各パートにはどんな意味が込められているのか、考察していきます。
いろんな解釈ができるのが歌詞の魅力です。一意見として、この記事が参考になりましたら幸いです。
Verse 1【解釈】献身的な≪私≫と、≪私≫をモノ扱いする≪あなた≫
ヴァース1の歌詞は、両者の態度や温度差が対照的になっているのが特徴的です。
≪あなた≫が帰ってくるのを裏庭のブランコで待ったり、≪彼≫が気に入ってくれた夏用ドレスを着たり、≪彼≫の好きな香水を付けたり…。
( 歌詞内で≪あなた≫と≪彼≫が書き分けられている理由は、のちほど考察します。)
語り手である≪私≫は、相手に対して献身的で、≪あなた≫中心で動いていることが感じ取れます。
そして、ドレスを着て恋人の帰りを外で待っていたわけですから、もしかすると≪あなた≫との外出デートを期待して帰りを待っていたのではないかと推理できます。
しかし、その淡い期待は、大きく外れることになります。
なぜなら、≪あなた≫は帰宅するなり、まるでペットに対してするように口笛で名前を呼び、ビールを開け(→これで車での外出はできなくなりました)、ビデオゲームを始めたり、服を脱いだ状態の≪私≫を眺めたり…。
自分中心で動いているのです。
これでは、折角のおめかしが台無しです。
それでも≪私≫は相手に文句ひとつ言わず、むしろ「最高」だとベタ褒めしています。
そう口では言っているものの、そのまま文字通りの意味を真に受けていいのでしょうか。
そう言い聞かせることで、自分なりにこの恋愛を成立させようとしているのではないかと考えられます。
そして、次のコーラスへ歌詞を読み進めると、自己暗示はさらに強まります。
Chorus【解釈】自己暗示と現実逃避
コーラスの歌詞は、まるで自分に催眠術でもかけているかのような自己暗示が強く感じ取れます。
相手といられるこの場所こそが天国なんだ、相手の好みに合うように自分を変えるんだ、相手の望みを叶えてあげるんだ、と。
世間では、「人に愛されてこそ生きる価値がある」と言われている。
だから、相手に愛されようと必死なわけです。
そして、この曲の語り手≪私≫のひたむきな努力が報われたかのように、≪あなた≫はようやく≪私≫を愛する(?)のです。
しかし、これは冒頭で伝えたとおり、ラナの過去の願望が込められています。
願望ということは、その努力が報われた可能性は極めて低いです。
そしてこのコーラスの非常に複雑なところは、ヴァース1に出てきた交際中のゲーマー男はなく、別の人のことを想って書かれたものです。
今の相手ではなく、深く愛していた過去の相手への想いで自分を満たすことで、今の相手との現実から目をそらしているのかもしれません。
Verse 2【解釈】恋愛モードからの脱却?
ヴァース1では相手に対する情熱であふれていましたが、ヴァース2は様子が違います。
相手中心だったヴァース1に対し、このヴァース2では自分のことにより主軸を置いているのです。
ラナは有名になる前、ラウンジシンガー(バーやホテルで歌う人のこと)をしていました。
冒頭では、古いバーで往年のスター歌手たちの曲をかけて歌っている描写が浮かびます。
恋愛に生きていた女性から、名声(仕事)に生きる女性へとシフトチェンジしているのです。
さらに、酔っぱらった≪彼≫が抱きしめているとき、「抱きしめ返す」という言葉もなければ、ヴァース1のような甘い言葉も書かれていません。
歌詞の続きは、「≪私≫は星を眺めている」です。
このヴァース2からは、ヴァース1ほどの相手への情熱は感じられません。
極め付きは、友人たちがセント・ビンセント・デ・ポール教会に入ったり(=結婚したり)、出たり(=離婚したり)するのを楽しんでいます。
それが私のビデオゲームなのだとほのめかしています。
恋愛において健気で従順で献身的だったヴァース1の人物とは、対照的なつくりだと感じられます。
【考察】≪あなた(you)≫と≪彼(his)≫を使い分けている謎
なぜ、人称代名詞が書き分けられているのでしょうか?
彼女がインタビューで語っていた2人の男性が、この謎を解くカギだと思います。
各パートごとに考察してみます。
Verse 1
- 【≪あなた(You)≫が使われている箇所】
「≪あなた≫が車をとめる」「ビールを開ける」「ビデオゲームをしようと誘う」
→この≪あなた≫は、「(当時の)今カレ」を指していると思われます。
- 【彼(his)≫が使われている箇所】
「≪彼の≫お気に入りの夏用ドレスを着る」「≪彼の≫好きな香水を付ける」
→この≪彼≫は、コーラスに登場する長く想いを寄せていた「元カレ」のことを指しているのではないかと思います。
「元カレ」の好みのものを身に着けて、「今カレ」に接しているということです。
十分に愛してくれない「今カレ」への腹いせとも捉えることができます。
まるでコーラスに出てくる「バッドガール(悪い子)」を体現しているように思えます。
Chorus
コーラスはすべて≪あなた(You)≫で統一されています。
ここの≪あなた≫は、ラナ自身が説明しているように、「今カレ」のことではなく「元カレ」を指しています。
Verse 2
ヴァース2で人称代名詞が登場するのは、1箇所のみ。それも≪彼(his)≫のみです。
「≪彼≫が≪私≫を抱きしめる」という箇所で登場しますが、この≪彼≫は「元カレ」と「今カレ」のどちらでしょうか。
「元カレ」だと判断するには、話が唐突すぎますよね。
(町でバッタリ再会して抱き締められたと解釈するには、話が急です)
そうなると、「今カレ」だと判断するのが適当だと思います。
気になるのは、「今カレ」に≪彼≫という人称名詞が使われているということ。
ヴァース1での「今カレ」の人称名詞は≪あなた≫でした。
これは、ヴァース2の【解釈編】で書いたとおり、「今カレ」への愛情が薄れたからなのではないかと捉えています。
「今カレ」も≪私≫の中では過去の人になってしまったので、≪彼≫で表現しているのかもしれません。
あくまで妄想ですが、「今カレ」が別れたくないと懇願して抱きしめているシーンにも見えます。
しかし、≪私≫のほうは、愛が冷めてしまっているから、≪彼≫と表現し、星を眺めています。
英語の「see stars」には2つの意味があります。
1つは、直訳のまま「星を見る」。
もう1つが、「目がくらむ」です。頭を強くぶつけて目の前が真っ暗になったときに使う表現です。
後者で解釈すると、「彼に抱きしめられて、目の前が真っ暗になる」とはどんな心境でしょうか。
「いまさら遅いよ」という意味なのではないかと思います。
さいごに
ゲームという仮想(理想)世界に身を投じている彼を、現実世界から眺める彼女。
そんな彼女が、現実の彼を眺めながら(ヴァースで歌う)、理想の相手に思いを馳せる(コーラスで歌う)。
矢印で示すと、こんな感じ。
理想世界←現実の彼←彼女→理想の彼
現実と理想の彼の間を行き来する「Video Games」の歌詞は、皮肉めいてもいるし、切なくもある。
それが「Video Games」に込められた意味ではないかと思います。
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