歌詞の意味考察と解説|Billie Eilish「bad guy」

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Billie-Eilish-Bad-Guy Billie Eilish

結論からお伝えすると、この曲は悪い男(bad guy)キャラを軽快に茶化した遊び心のつまった曲です。

2019年3月29日にビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)の「バッドガイ(bad guy)」がリリースされました。

それぞれの歌詞パートにはどんな思いやストーリーが綴られているか、ビリー本人のインタビューを元に歌詞に込められている意味を考察してみたいと思います。

いろんな解釈ができるのが歌詞の魅力です。

一意見として、この記事が参考になりましたら幸いです。

【歌詞の解説】「Bad Guy」に込められているもの

ビリー自身はこの曲について次のように語っています。

It’s basically making fun of everyone and their personas of themselves.
(この曲は基本的に、すべての人とそのペルソナをからかっています。)

タイトルにもなっているバッドガイは、男性が演じたがるペルソナ(仮面)の一つです。

「俺はこんなにワルなんだぜ」「危険な男なんだぜ」

男性のワル自慢・ヤンチャ自慢を聞いたことのある人は少なくないでしょう。

それは「不良=かっこいい」というイメージが根付いているからなのかもしれません。

確かに、不良っぽい人に惹かれる女性は一定数います。

不良や問題児とヒロインの恋愛を描いた少女漫画や映画は、どの世代でも受け入れられている色褪せない人気コンテンツです。

しかし、いくら女性にモテるとはいえ、いくら不良ぶるのがかっこよく見えるとはいえ、一歩距離を置いて冷静に考えると、カッコつけた行動はシラけるし、ダサい感じもある。

ビリーは、そんな男性の一面を見抜いています。

でも、それを単にからかうだけでは、つまらない。

味気ない。

だから、この曲はビリー自身が遊び心で悪い奴を演じています。

「我こそはバッドガイだ」「私こそがバッドガイだ」と。

あなたが演じるなら私だって。いや私のほうが上手く演じられる。

演技合戦になっているのが、この曲のミソです。

歌詞を文字どおりの意味で捉えてはいけません。

ジョークです。

“私はあなたの父親を誘惑するタイプ”といった過激な歌詞が含まれ、ビリーが当時17歳だったということもあり問題になりましたが、ジョークなんです。

真面目に捉えないことが、この歌詞を愉しむ秘訣です。

【歌詞の意味とMVの考察】

曲の概要を把握したところで、それぞれの歌詞パートにはどんなストーリーが込められているのか、MVの映像も交えて考察していきます。

[Verse 1]荒れてる人、冷めてる人

最初のヴァースは登場人物が2人。

語り手である≪I≫と、相手の≪You≫です。

冒頭では、語り手が鼻血を流し白シャツが赤く染まる様子が描かれています。

なぜか?

相手がバッドガイであると仮定すると、暴力で殴られたからだと想像するのが順当かと思います。

そして「あなた」が登場するわけですが、登場の仕方が怪しい。

語り手が眠っているところに、まるで犯罪者かのように忍び足で近づいてきます。

つま先立ちで歩く仕草は、MVでビリーが体現しています。

MVの時計は3:29を指しているので、寝静まっている時間帯であることも分かります。
(前述しましたが「Bad Guy」のリリース日は2019年3月29日です。)

ここまでをまとめると、寝込みを襲ったバッドガイと襲われた主人公のお話です。

力関係で言うと、完全にバッドガイに主導権があるように見えます。

そのあとの展開は、語り手が痣ができるほど膝立ちになる描写があり、ますます展開が怪しくなっていきます。

しかし、ここまでの歌詞はすべて情景描写であって、語り手がどう思っているかはまだ描かれていません。

最後の3行は、語り手の心理描写になります。

まず、自分はやりたいからやっているだけで、感謝とか懇願とかするなと相手を一蹴。

寝込みを襲われ、暴力を振るわれ、相手の言いなりになっているような情景描写が続いていたので、語り手の人物像が崩壊し、ここで面食らいます。

“私の魂はシニカル”とはどういう意味なのでしょうか?

クリミナルとの韻を踏むための言葉選びをしているとは思いますが、それだけではないと思います。

シニカルという言葉に、ビリーの本心が集約されていると私は感じます。

シニカルは、日本語で「嘲笑的、冷笑的」という意味です。

つまり、相手のワルっぽい態度をあざ笑い、見下しています。

ものすごく冷めた目で見ているから、相手に対する恐怖心は微塵もないわけです。

こういう態度を取るのがクールだと思ってるんだ?笑わせるな。

それがシニカルに込められている部分ではないかと思います。

[Pre-Chorus & Chorus]ヤバい奴のさらに上を行く

プレコーラスでは、新たな登場人物“your girlfriend(あなたの彼女)”が登場します。

ヴァース1では、語り手とyouの関係性が恋人なのか不明瞭でしたが、これで明らかになりました。

つまり、相手には彼女がいて、それでいて語り手に手を出した、なかなかのバッドガイだったことが判明します。

これで、ヴァース1でコソコソ忍び寄ってきた相手の態度にも合点がいきます。

さらに、タフで、荒っぽく、満足することを知らない、胸を張った男であることをこの歌詞パートでは詳細に語っています。

しかし、このパートはそれで終わりではありません。

後半部は、それらの特徴を全部ひっくるめて、そんな悪いタイプのペルソナこそが私だと、相手の悪ぶる態度を逆手にとって、あえて相手を真似ることで痛烈に茶化しています。

“あなたの母を悲しませ、彼女を怒らせ、あなたの父を誘惑するかも”と、最大限に悪ぶって見せています。

相手のバッドガイ的なキャラを、ユーモアを込めてイジっているのが、この歌詞パートです。

英語の文法的観点から考察すると、「a」と「the」の対比と使い分けが巧いと思います。

相手に対しては、“a tough guy”と不定冠詞「a」を使っています。

「a」のニュアンスは複数ある中の無作為の1つなので、ここは「タフな男がたくさんいる中のの1人」と訳せます。

一方で、自身のことを語るときは、“the bad guy”と定冠詞「the」を使っています。

「the」のニュアンスは特定の1つなので、ここは歌詞で説明されてきたバッドガイに当てはまる特徴のことを指した「特定のバッドガイ」と訳せます。

「I’m the one.(私がその人だ/その役割だ)」という英語表現がありますが、「the」を使うことで「私こそが、そのバッドガイ」ということを強調しています。

[Verse 2]手のひらで転がされる男

考察して思ったことですが、この歌詞に出てくる≪あなた≫は、寝込みを襲ったり荒っぽいのが好きだったり、胸を大きく見せたりと、身体的強さを強調しているように感じ取れました。

生物学的な視点から、男性の方女性よりも一般的には力があります。

しかし、恋愛において主導権を握るということは、力でねじ伏せるということではありません。

主導権を握るという意味を履き違えています。

この歌詞において、実際に主導権を握っているのは語り手のほうです。

相手の「バッドガイキャラ」も「主導権が自分にあると思っていること」も知ったうえで、それを演じさせてあげると歌っています。

“母がこの歌詞を読めば男たちに同情するだろう”という言葉どおり、相手を翻弄しているのは語り手のほうという恐ろしい展開です。

[Bridge]ずっと私のターン

生物学的な身体的性差の話をしましたが、このブリッジパートのMVでは、身体的性差を利用して腕立て伏せをする男の背中にビリーが乗っているという、皮肉めいた映像になっています。

歌詞の部分は、曲の終盤ということもあり、相手のバッドガイな部分ではなく、語り手のバッドガイな部分に焦点が当たっています。

ネットスラングの「ずっと私のターン」よろしく、相手を怒らせることに成功し、相手のコロンを付けて彼女を怖がらせることに成功しています。

バッドガイを演じるという点では、語り手の方が一枚も二枚も上手です。

[Outro]「the」から「a」への変容と、小声の謎

相手に対して使っていた不定冠詞「a」を、最後は自分に対して「a」を使っていることに注目したいと思います。

ここまで「the」を使っていたのは、相手の思うバッドガイキャラという特定の仮面を自分も付けられるからです。

しかし最後に「a」を使っている理由は、なんだと思いますか?

私なりに考察した結果、悪ぶる男たちを茶化して真似して歌にする自分も、「バッドガイの1人」だあることを認めているからaを使っているのではないかと思います。

同じ穴のむじな。

一見無関係に思えてもじつは同類であることのたとえ(英語では“birds of a feather”)です。

自分も大して変わらない同類であることを、蚊の鳴くような小声で自白しているのではないかと受け取りました。

【さいごに】「Bad Guy」に見る、自分らしさとは?

自分のアイデンティティとは何か?

あなたは、「自分がどんな人間であるか」を言語化して説明することができますか?

私はうまく説明できる自信はありません。

私の中でアイデンティティとは、形が定まっていないグニャグニャしたものです。

ときに周りの環境や相手によって揺らぐものだと捉えています。

揺らがないアイデンティティもあるにはあります。

「私は日本人です」は、日本に生まれた段階で確定しているアイデンティティの一つであるから、揺らぎはしません。

「私は社会人です」も揺らがない。

だけど、「私は誠実です」「私は謙虚です」といった性格的なものは、自分のアイデンティティと言えるのか分からない。

誠実で謙虚であろうとする自分像はあるけれど、それを他者が承認しているかどうかは分からない。

ある人は「君は温厚だ」と言う。
ある人は「君は短気だ」と言う。

他人がどの一面を見ているかで変わるアイデンティティもある。
他人が自分をどう判断するかで揺らぐアイデンティティもある。

「自分は何者なのか?」

この曲に出てくる男は、「自分はバッドガイだ」「自分はこういう悪い人間なんだ」と、「バッドガイ=自分のアイデンティティ」として演じ思い込んでいるけれど、そうじゃあない。

それはビリーが許可しない。

だから、悪ふざけで相手を真似て、「我こそはバッドガイだ」と大ふざけをかましている。

「昔はワルだった」「昔やヤンチャしてた」と、若気の至りを武勇伝のように語る男がいますが、10代の頃に「悪=自分のアイデンティティ」にしようと躍起になっている若者は世界共通の概念なのかもしれません。

でもそんな見掛け倒しの仮面は、この曲然り、はぎ取られるべき偽物のアイデンティティなのかもしれない。

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