「ライブでは歌いません」
「『To Be Loved』はあまりにエモーショナルな曲で、この曲が流れるだけで動揺し胸が詰まる」
アデルがインタビューでそう語ったこの曲は、アルバムリリースの数日前、自宅で熱唱する様子とともにTwitterで公開されました。
アルバムのプロモーション活動のため、1週間ほど前からアメリカ・イギリスの大手TV番組でライブパフォーマンスを披露した彼女ですが、セットリストの中に『To Be Loved』は入っていませんでした。
なぜ「ライブ」ではなく「自宅」で歌った様子を公開したのか?
それは、「自宅」でしか歌えないからなのかもしれません。
最も心を落ち着かせた状態でいられる「自宅」じゃないと、感情がこみ上げてきて歌えないのかもしれません。
今回は、そんなアデルの心をかき乱す曲『To Be Loved』を和訳してみて、気になった英語表現を2つ取り上げ、分析します。
歌詞に出てくる英語表現を分析
この曲には気にある表現がいくつかありますが、今回は2つに絞って紹介し分析します。
back thenの意味は?
「その当時は」「あの時は」
歌詞では「愛を育むために家を建てた/若くて知る由もなかった/あの時の私と変わらないまま今も途方に暮れてるなんて」という最初のヴァースで使われています。
「当時は」を表す表現に、at the/that timeやin those daysがありますが、違いは何でしょう?
こちらにまとめました。
ネイティブはin those daysよりback thenのほうをよく使う、と書いている記事があったので、本当かどうか簡単にgoogleで完全一致検索してみました。
(※ヒット件数=使用頻度が高い、ということにはなりません。あくまで1つの目安として捉えてください。)
・at that time 約 345,000,000 件
・back then 約 122,000,000 件
・in those days 約 59,500,000 件
at that timeがダントツの1位。これは、比較的短い期間に使う表現で使用頻度が多いからなのかもしれません。
そして、back thenとin those daysを比べてみると、2倍の差でback thenの記事数が多いです。
この結果には、意外でした。
日本人に馴染みのある方は、in those daysなのではないでしょうか?
今回の歌詞のように、in those daysではなくback thenを使うことで、こなれた感じが出せそうです。
bleed intoのニュアンスは?
歌詞では、「出血する、血を流す」という意味のbleedのあとに「中に入っていく」という意味のintoと「誰か他の人」を意味するsomeone elseが付いています。
bleed into the brainなら、「脳の血管が破れて脳組織の中へ血が流れ入っていく」⇒「脳出血」。
では、bleed into someone elseなら「他人の中へ血が流れ入っていく」?
これでは意味が通じませんね。
英和辞書ではしっくりくる意味がなかったので英英辞典で調べてみると、bleedにこのような定義があるのを見つけました。
・spread into or through something gradually
Merriam-Webster
e.g. foreign policy bleeds into economic policy
「徐々に何かの中へ、もしくは何かを通して広がる」
何となくニュアンスはつかめましたか?
血液がじわりじわりと流れ出て(bleed)別の場所へと滲んでいき(into)最終的には他との境界線がなくなっていていく、拡散していく、浸透していく、影響していく、そのようなイメージです。
このbleedのニュアンスの最もいい例が、color bleeding(カラーブリーディング)。
カラーブリーディングとは、一言でいえば「色移り」のことです。
ある色が流れ出て拡散・浸透・影響していき、他の色との境界線がなくる「色移り」という言葉の意味と、bleedのニュアンスが合致しています。
このニュアンスを歌詞に当てはめると、「私のやることはすべて、他の誰かへ拡散していく/浸透していく/影響していく」と、まだ直訳感がありますね。
前後の流れを踏まえて、自然な日本語にするなら「私は他人を巻き込んでばかり」や「私は他人を蝕むことしかできない」。
このような意味合いでbleed intoを使っているのではないかと思われます。
少し視野を広げてみれば、前文と意味が対比になっていることからも、解釈の正しさを裏付ける根拠になり得そうです。
前文のfaceは、まっすぐ一直線に向き合うイメージ。対するbleed intoは、にじみ出て広がっていくイメージ。
前文のmeに対して、正反対ともいえる「赤の他人」という意味のsomeone else。
他人さえも巻き添えにし迷惑をかけていることに内省し、ようやく自分自身と向き合うことにしたアデルの心境の変化と強い意志を感じ取ることができます。
これを逆の発想で考えると、これまで自分と向き合ってこなかったということになります。
いつのインタビューかは忘れましたが、以前「責任の所在を自分以外の誰かにしてきた」と語っていました。
そのことが最も表現されている代表曲『Rolling in the Deep』では「あなたに責任を負わせてやる」という表現が露骨に歌詞に出てきます。
今回のアルバム『30』は「自己破壊」「内省」「自己救済」である、とvogueのインタビューで答えています。
自分の不甲斐なさをさらけ出し、内省し、愛し愛されるためすべてを手放して自分を取り戻す…。
アデルがなぜライブで歌いたくないのか、歌詞を理解したことでよりわかった気がします。
この曲には、自身を丸裸にしたかのような剥き出しの感情が詰まっています。
最後に
自分を丸裸にするような内容の曲は、アデルに限らず、誰しも人前では歌いたくないのではないでしょうか。
自分の裸を大勢の前に晒したい!というような人はいないでしょう。
もし人前で堂々と歌うそのときが来れば、それはこの曲の内容が過去のものとして昇華できたときではないかなと思います。
『To Be Loved』のライブパフォーマンスを観たい/聴きたい気持ちはありますが、アデルの心の準備ができるまで、ファンとしては見守りたいと思います。
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