今回ご紹介する曲はシルヴァン・エッソの「PARAD(w/m)E」です。
“w/m”は”with me”のことです。
パレードという賑やかそうな曲名がついているのに対し、砂漠と荒廃した街が舞台となっているミュージックビデオ。
荒んだ場所を舞台にしている理由は歌詞にありますが、1度ミュージックビデオを観てから歌詞をチェックすると内容が入りやすいと思います。
それでは 「PARAD(w/m)E」 はどんな曲なのか、解釈してみたいと思います。
「歌詞の意味を理解したい」「自分で和訳してみたけど分からなかった」という方の参考になれば、幸いです。
解釈
Verse 1
ポップなサウンドに対して、歌詞にはさらりと恐ろしいことが綴られています。
どうやら、異常な事態が発生しているようです。
「給油所の枯渇」「今ではいつでもサマータイム」という箇所から、今よりもずっと温暖化が深刻化している近未来を歌っている曲だと推察できます。
給油後が全く機能していないということは、文明が崩壊したということ。
文明が滅びた後の地球は、一体どういう状況なのでしょうか?
次に続く歌詞が気になります。
Pre-Chorus
いま私たちの生きている世界では、車やバスがコンクリートの上を走っています。
しかし文明が死に絶えた後の世界、つまりこの歌詞では、コンクリート上に何もないのです。
文明の滅亡という異常事態に悲観するのが自然な状況下で、この歌詞では「パレードを行う」と書かれています。
文明の滅亡を喜んでいるのです。
これは一体どういうことでしょうか?
現代社会は、もので溢れかえっています。
スマホに、車に、家電に、PCに、洋服に…。
ちょっと性能をプラスしただけで、ほとんど旧モデルと大差ないようなものが毎年発売され、まだ使えるというのに古いものはゴミとして大量に廃棄されます。
そんな文明は滅びてしまってもいいのかもしれません。
この曲は物質主義への批判と捉えることができます。
Chorus
もう台無しになるものは何も残っていません。
スマホの画面が割れたり、PCが固まったり、車に傷がついたりと、自分の今持っているものを失う悲しみを抱えずに済むのです。
ものがあるから、私たちの生活は豊かで便利になっているのは事実です。
しかし、ものを利用するというよりかは、ものに支配された生活を送っているのではないでしょうか。
ものに依存して生きているのではないでしょうか。
このまま今の生活を続けていたら私たちの運命はどうなるか。地球の運命はどうなるか。そんなことを考えずにはいられなくなる歌詞です。
Verse 2
どうやら滅びているのは、文明だけではないようです。
文明だけが滅んだのではなく、自然界も滅びてしまっていることがこのVerse 2で判明します。
水も海も草花も木々もなかったら、私たちは地球で生きていけません。時間の問題です。
もしかしたら、X年後の地球を未来予想して書かれた歌詞なのかもしれません。
まとめ
この曲は、文明が滅びた後の世界を描いた歌詞でした。
このままの暮らしを続けていたら、いつかは歌詞のようなミュージックビデオのような事態になってしまうかもしれません。
現代のライフスタイルに疑問を持つ機会を与えてくれた作品です。
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