ある行動がきっかけで死ぬことが分かっていれば、人はその行動をしないよう用心するもの。
しかし、その行動が恋愛ともなると、話は別。
ひとたび恋に落ちてしまえば、相手がどんなにひどい人であろうとも、恋の結末が分かっていようとも、撃沈して死するまで誰にも止めることはできません。
それでも、本気の恋は切り取っておきたい人生の思い出。
ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)の「Born To Die」は、そんな人生のストーリーが込められた名曲です。
この記事では、2012年のアルバム『Born to Die』収録の同名曲「Born To Die」について、ラナはこの曲をどう説明しているのか、そして、私の考察をご紹介します。
いろんな解釈ができるのが歌詞の魅力です。一意見として、この記事が参考になりましたら幸いです。
【歌詞の要約】
- ラナ曰く、「本気の愛に敬意を払い、荒っぽい生き様を讃えた曲」とのこと
- また「愛することは生きること、間違った人を愛することは死ぬために生まれたこと(born to die)」とも語っている
【歌詞のストーリーと考察】
[Verse 1]自己犠牲と痛み
ヴァース1は、“足よ、私をがっかりさせないで/さあ最後まで連れて行って”から始まります。
なにやら緊張感のある道を歩んでいる、語り手。
さらに歩を進めるごとに胸を痛めてることが、次のラインで分かります。
そこまで苦しみながらも前進を続ける理由は、最終目的地らしき天国の門で、“あなたが私のものになると願っている”から。
語り手の健気さと同時に、両想いになっていない切なさが伝わります。
この一方通行の思いは、次に続く歌詞でも如実に表現されています。
たとえば、週末のはじまりで多くの人が街に繰り出し賑やかになる金曜日の夜にもかかわらず、孤独を感じる語り手の様子が描かれています。
[Pre-Chorus]有毒な関係
プレコーラスでは、語り手の吐露が一番表れているパートに思われます。
“私を悲しませないで、泣かせないで/ときどき愛だけじゃ足りない”と、相手に対する不満が露呈しています。
だったら、関係を止めたらいいのにと傍から見れば思いますが、【要約】で前述したように、これは本気の愛。
最後まで燃え尽きて死ぬまでは、本人ですら止め方が分からないほどの暴走した恋愛です。
でも現実を直視するには、あまりにもタフ。
だからこそ、一緒にハイになって、長い人生をその場しのぎの快楽で満たそうとしています。
そして、この暴走はコーラスで非常に顕著に表現されます。
[Chorus]大胆行動のワケ
コーラスでは、暴走した語り手の大胆な行動が描かれているのが特徴的です。
ワイルドで危険な道へと相手をいざない、土砂降りの雨の中で激しいキスをしようとする過激な歌詞です。
プレコーラスからのストーリーの流れを汲んで、コーラスも、つかの間の快楽に溺れている様子が感じ取れます。
違う点は、二人の関係に終わりが近いと、語り手が悟っていること。
関係がもはや長続きしないことが分かっているからこそ、語り手は心残りのないように大胆な行動に出られるわけですし、相手に言い残したことはないかと訊いているわけです。
別れ際の最後の盛り上がりをこのコーラスでは演出しているのではないかと思われます。
[Verse 2]別れてみて、わかること
ヴァース2では、相手と別れた後の自分を冷静に見つめている様子が感じ取れるパートです。
恋は盲目と言いますが、相手のことを猛烈に好きになればなるほど、視界が狭くなりいろんなことが見えなくなって正しい判断ができなくなるもの。
そして、手に入れたいものは何でも手に入れようと貪欲になったり、すべての答えが見つからなくて怯えたり、まるで節制のきかない子どものようだったと自分の過去を振り返っています。
さいごに
この曲は、ハッピーエンドの明るいラブソングではありません。
その真逆。
しかし、自分が震えるぐらい本気で恋に落ちて、自分でもびっくりするぐらい動揺したり、不安になったり、ワイルドになったり。
自分の違う一面を垣間見て、それを素直に賞賛しようとしているところが、この曲の魅力だと私は思います。
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