質問です。
映画『ハリー・ポッターと賢者の石』の印象に残っているセリフを教えてください。
そう尋ねられたら、何と答えますか?
「ビューンヒョイ」?「愛じゃよハリー、愛じゃ」?「ウィンガーディアムレビオーサ」?
私は、色んな意味で違うところが気になりました。
この記事では、セリフや字幕を咀嚼し深堀りして、味わってみます。
校長のありがたい名言を咀嚼
This mirror gives us neither knowledge or truth. Men have wasted away in front of it, even gone mad.
(この鏡は見る者に知識や真実を与えてはくれぬ/この鏡に魅入られ身を滅ぼした者は大勢いる)It does not do to dwell on dreams, Harry, and forget to live.
ハリー・ポッターと賢者の石
(夢にふけっててはならん/生きることが大事じゃ)
●ハリーが、望みを映し出す「みぞの鏡(The mirror of Erised)」から離れられなくなっているところへ、ダンブルドアが声をかけるシーン。
まず鏡の名前について。
「望み(のぞみ)Desire」を逆から読んだものであることから、ただならぬ鏡であることが分かります。「望み鏡」として望みを叶えてくれたらいいものの、鏡のように名前が反転しているからです。
これはダンブルドア校長の説明にあるように、鏡で身を滅ぼす者が大勢いることから、望みを叶えるというよりも人を破滅させる鏡と捉えるほうが正解かもしれません。
映画の世界で出てくるセリフというのは、ときに現実世界に生きている私たちにまで届いてくるから、恐ろしい。
「みぞの鏡」というのは現実に存在しませんが、似たようなものは存在します。
【知識や真実を与えてくれず、夢にふけって身を滅ぼしかねない危険なものって、な~んだ?】
もし、この質問をされてあなたの頭の中に何かが浮かべば、それがあなたにとっての「みぞの鏡」です。
私はSNSが浮かびました。
SNSはいつの間にか夢中になり、理想の自分を創り上げることができますが、必ずしも知識や真実を与えてくれるとは限りません。
SNSに魅入られて身を滅ぼしそうになりそうなときは、ダンブルドア校長のありがたい言葉を思い出すんです。
鏡でもSNSでもゲームでも映画でも、他人がつくり出した世界はほどほどにして、現実世界に生きることを忘れてはいけません。
いかにもハグリッドが言いそう!言い得て妙の字幕
ここでは、これぞ職人技と言える字幕を分析してみます。
Hagrid: Didn’t think your mum and dad would leave you with nothing now, did ya?
ハリー・ポッターと賢者の石
両親に感謝するんだな
●グリンゴッツ魔法銀行に来たハリーとハグリッド。コインの山で埋め尽くされているハリーの金庫を前に、ハグリッドがハリーに言ったセリフ。
– 原文訳 お前の両親がお前に何も残さなかったと思うか?
この字幕翻訳のすごさは、2つあります。
(1) 完結したセリフ回しになっていること。(2) ハグリッド視点になっていること。詳しく解説します。
(1)
原文をそのまま訳出してしまうと、ハリーがどう思っていたかに焦点が当たってしまいます。今回の場合、ハグリッドのこのセリフの後にハリーの返答がなく、すぐ次のシーンに移っています。
つまり、このセリフは他のセリフとの繋がりがなく、1つで完結させなくてはならないセリフなのです。
(2)
原文のままだと、少し説明口調、ぶっきらぼうな印象を感じます。そこで字幕では、ハグリッドの視点から見た時の感想が込められたセリフになっています。
以上の2点により、字幕はハグリッドの感情を描写した巧みな言葉が使われているのです。
消えてしまった伏線?!
ここでは、一瞬考えてしまった気になる字幕を取り上げます。
Hermione: Of course! There are other things defending the Stone, aren’t there? Spells, enchantments.
ハリー・ポッターと賢者の石
(大勢の人があの石を守ってるのね?/呪文や魔法で)
●ハグリッドの家にて。ハリー・ロン・ハーマイオニーの3人は、スネイプ先生が賢者の石を狙っているとハグリッドに話す。「スネイプはあの石を守ってる先生の一人だ(Snape is one of the teachers protecting the Stone!)」と言い張るハグリッドの言葉にピンと来たハーマイオニーのセリフ。
– 原文訳 石を守るものは他にもあるのね?呪文や魔法ね
原文では呪文や魔法が守っている、字幕では大勢の人が魔法で守っている、になっています。「物」にフォーカスを当てるか、「人」にフォーカスを当てるかで、印象が微妙に違います。
しかし、深堀りしてみると決して字幕が間違っているわけではありません。理由を解説します。
はじめに、このハーマイオニーのセリフは1つ前のハリーのセリフ「“先生の一人”と言った?(One of the teachers?)」を受けてのセリフであるため、会話のキャッチボールを成立させるためにこの字幕になっています。
気になるのは、字幕の「大勢の人が守っている」。この「大勢の人が守っている」ことを証明するシーンは映画に描かれていません。「大勢」とは、いったい誰のこと?
逆に原文の 「呪文や魔法が石を守っている」という部分は、映画の終盤で待ち受ける試練の伏線になっています。その試練とは、もがけばもがくほど締め付ける蔓や、空飛ぶ鍵、巨大なチェスゲームの3つ。
だったら、字幕は間違っているかといえば、そうとは言えません。
なぜなら、映画では詳細が明かされていませんが、それぞれの試練は各先生が魔法を仕掛けているからです。
– スプラウト先生 悪魔の罠
– フリットウィック先生 空飛ぶ鍵
– マクゴナガル先生 巨大なチェスゲーム
– スネイプ先生 薬の論理パズル (※映画では描かれていない)
字幕の「大勢の人」とは、スネイプ先生を含めて、マクゴナガル先生、スプラウト先生、フリットウィック先生のことを指しているのです。
でも、スネイプ先生やマクゴナガル先生は分かっても、スプラウト先生やフリットウィック先生の名前を出してすぐにピンとくる人はどれほどいるでしょうか?
※スプラウト先生は映画『ハリー・ポッターと賢者の石』には出てきません。映画『ハリー・ポッターと秘密の部屋』で、マンドレイクという根が赤ちゃんの姿をした植物の育て方を教える授業で出てくる先生です。
※フリットウィック先生は羽を浮かす授業で出てきた「ウィンガーディアムレビオーサ」の先生です。
映画全体の流れ、前後のセリフの流れから、いまの字幕になっていると推察します。
ただ「大勢の人」を訳出してしまうと、それが誰なのかに焦点が当たってしまっているため、映画内での説明がないからには、唐突感を感じてしまうのが正直な感想です。
最後に
字幕については、別の記事「ハリー・ポッターと賢者の石|20年経って、ある疑問を解決してみる」で、カエルチョコのシーンで登場したあるセリフを取り上げています。
セリフや字幕について深く熟考してみたい人は、ぜひこちらも楽しんでいただけると思います。
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