「Bellyache(ベリーエイク)」とは、腹部に感じる痛みのこと。
この曲でbellyache(腹痛)は、体の内部から沸々とこみ上げてくる得体の知れない体の反応として表現されています。
では、どういう経緯で歌詞の語り手は「bellyache」を感じるに至ったのでしょうか?
そして「bellyache」の正体は何なのでしょうか?
ビリーはこの曲について「罪悪感をコンセプトにしている」とインタビューで答えています。
一体どんな罪を犯したのでしょうか?
本記事で、歌詞に込められている意味を考察してみたいと思います。
いろんな解釈ができるのが歌詞の魅力です。一意見として、楽しんでいただけましたら幸いです。
Verse 1【解釈】クライム映画のワンシーンを思わせる始まり
ヴァース1は、まるでクライム映画のワンシーンが頭に浮かんでくるような精緻な情景描写が描かれており、ストーリー性を浮き彫りにしています。
説明的に多くを語るのではなく、情景描写を細かく描くことで何やらよくないことが起きているのだと読み手に思わせる始まりです。
その始まりとは、車内にひとり座っている≪私≫にズームした起点から、徐々に周辺部へとズームアウトしていくというもの。
次のラインで、語り手は口いっぱいにガムを噛んだ状態で、ドライブウェイ(私有車道)にいることが判ります。
なぜ口の中をガムで満たしているのでしょう?
人がガムを噛む理由はそれぞれですが、主に次の3つではないかと思います。
- お口直し
- ストレス緩和/噛みしめ緩和
- 眠気防止
歌詞で噛んでいる理由はどれでしょうか?
続きを読み進めると、解釈の手がかりが見つかります。
ガムの歌詞の後、「≪友だち≫はそう遠くにいない/後部座席にいる」と歌っています。
論理的に読んでいると、ここで矛盾が発生します。
冒頭で「車内にひとり座っている」と歌っていたのに、「あれ?車内に友だちもいるじゃないか?」と一瞬疑問に思います。
しかしこの一瞬の矛盾は、次の強烈なパンチライン「≪彼ら≫の死体が横たわってる」によって崩されます。
車内で生きている生身の人間は≪私≫ひとりで、後部座席にいる≪友だち≫は亡骸なのです。
口いっぱいにガムを噛んでいる理由。
それは少なくとも、眠気防止ではなさそうです。
ヴァース1では≪私≫のキャラクターがまだ詳述されていないのでネタバレは避けますが、サイコパス的なキャラクターなら、友だちを殺めた後のお口直し的にガムを嚙んでいるのかもしれません。
はたまた、まともなキャラクターで何らかの事情や理由があって友だちの遺体を後部座席に乗せているのなら、この非日常的な状況を落ち着かせるためやストレスを和らげるために、ガムを噛んでいるのかもしれません。
さあ、≪私≫はいったいどんな人物なのでしょうか?
そして、なぜ友だちの屍を後部座席に乗せているのでしょうか?
この問題提起の答えは、この後の展開の解釈に譲るとします。
Pre-Chorus【解釈】サイコパス濃厚
それぞれのヴァースやコーラスとの間に挟まっているプレコーラスでは「≪私≫のマインドはどこ?」と歌っています。
マインド(mind)は、『(意識・思考などを担う)心や精神、(正気や理性がベースとなっている)健全な心や知性』を表す言葉。
その所在が自分でもどこにあるのか分からない=行方不明ということは、つまり、≪私≫なる人物はマインドがぶっ飛んだサイコパスの可能性が高いと言えます。
Verse 2【解釈】サイコパスな愉快犯?
ヴァース1は『殺人』を思わせる一場面を描写していましたが、ヴァース2では罪の種類が変わり『強盗』を思わせる場面を描写しています。
しかも、「≪彼ら≫が来る/お金を探して私の部屋を調べてる」と歌っていることから、すでに強盗し終えた状況を歌っています。
このヴァース2の状況を映像化しているのが、この曲のMVです。
ビリーが荷車に乗せている黒いごみ袋の中身は札束。
荷車を使うくらいなので、自分で運べないほどの大金を盗んだことが映像から読み取れます。
映像から得られる情報は、他にもあります。
それは、札束をほどいてお金を惜しげもなくばら撒いているということ。
この情報から、お金のために強盗をしたわけではないことが読み取れます。
もしかすると、≪私≫は世間を騒がせたいだけの愉快犯なのかもしれません。
その考えをさらに強めるのが、「≪私≫は若すぎて刑務所に入れない/なんだかおもしろい」の箇所。
罪を悪びれるどころか、楽しんでいる様子が感じられます。
この歌詞パートは、サイコパスなキャラクター像を強める役割を担っていると受け取ることができます。
しかし、そんなパートの中で一箇所だけ違和感を感じるラインがあります。
それは「≪私≫は爪を噛んでいる」という部分です。
爪を噛むという行為には、心理学的に精神的な未熟さ・不安・ストレスが関係しています。
いくらサイコパスとはいえ、体は無意識に不安やストレスを感じて反応しているのです。
体から出るサインと言えば、ヴァース1では「ガムを噛む」行為が出てきました。
何か関係があるのでしょうか?
関係性を解くカギは、コーラスにあると思います。
(※考察パートで、詳述します。)
Chorus【解釈】増える死体と、異常を示す体からのサイン
プレコーラスではマインドの所在が行方不明だと歌っていました。
しかし、コーラスでは恐らくここにあるのではないかと≪私≫自身が予想を立てています。
その場所とは、「排水溝/側溝(gutter)」の中です。
これは、「Get your mind out the gutter(やましいことを考えるな)」という意味のイディオムをもじったもの。
つまり、≪私≫のマインドはやましい考えに浸っていると捉えることができます。
これまで描いてきた殺害や強盗といった罪を犯すサイコパスなキャラクター像を考えれば、あるべき場所にマインドが浸っているのです。
それと同時に、文字通りの意味「側溝」も同時に表しています。
それは、この次のライン「(その場所に)≪恋人≫を置き去りにした」とのつながりを踏まえてのことです。
≪恋人≫を側溝に残したと聞いて、どんな映像を頭に浮かべますか?
私は、≪友だち≫のみならず≪恋人≫までも殺害し、死体を側溝に流したのではないかと解釈します。
次のライン「高くつくごまかし(expensive fake)」は、死体を側溝に流して殺害をごまかしたつもりでいるけれど、犯罪の代償は大きいことを指しているのではないかと思います。
さて、この曲の最大の肝と言えるのが、この後に続く3行です。
まず犯行の動機が記されています。
「ヴェンデッタ(Vendetta)」とはイタリア語で「復讐」を意味します。
これは、DCコミックスおよび同名映画の『Vフォー・ヴェンデッタ』をもじったもの。
(※考察パートで、映画との関係性を深掘りします。)
復讐とは、『危害を加えられた相手に対して、同等かそれ以上の危害を加えて仇討ちすること』を指す言葉です。
ということは、最初に手を出してきたのは≪友だち≫や≪恋人≫なのです。
その恨みを晴らすために、≪私≫は犯行に及んだのです。
復讐を果たして、≪私≫の気は晴れたのでしょうか?
「気分が良くなるだろうと思ったけど/今は腹痛(bellyache)に襲われてる」と歌っていることから、復讐は何も生まなかったどころか、むしろブーメランのように自分へのダメージになって帰ってきていることが判ります。
Verse 3【解釈】自白と強がり
ヴァース3は、語り手の行動心理が綴られているのが特徴です。
「私のやることなすことは/絞首刑用の輪縄を身に着けるようなもの/ネックレスみたいに」
「それは相手を怖がらせ、神出鬼没で見境のないような人物に見られるため」だと≪私≫は語っています。
文字通りの意味で解釈すれば、奇抜な格好で相手を震え上がらせたい異常者ですが、果たして本当にそうでしょうか?
絞首刑用の首輪を自らの首に着けたら、自分で自分の首を絞めることになります。
しかも、見かけで相手を怖がらせたいということは、裏を返せば、元々は怖くない人物だということです。
この人物は、強がりで体裁を整えているのではないかと推察できます。
サイコパスの仮面を被った正常者なのかもしれません。
このことについて、考察パートで深掘りします。
【考察】Bellyache(ベリーエイク)の正体
ヴァース1の「ガムを噛む」動作。
ヴァース2の「爪を噛む」動作。
そして、コーラスの「腹痛に襲われる」現象。
それらの共通点は、体から無意識に出ているサインがトリガーになっています。
正気や理性を置き去りにして犯罪を犯す語り手ですが、体からは悪行を拒絶するかのような拒否反応が出ているのです。
この曲のBellyacheの本当の意味は、良心の呵責からくる体の拒否反応のことではないかと思います。
解釈パートで、語り手はサイコパスなキャラクターだと一旦は言いましたが、復讐を何としてでも遂げるために心を無にして鬼にしてサイコパスになりきった、本当はまともな人物ではないかと思います。
本物のサイコパスなら罪を犯しても何も思わないし、罪に対してのストレスも感じないし、ストレスでガムを噛んだり爪を噛んだり、腹痛に襲われたりすることはないと思うのです。
それに、サイコパスなら復讐ではなく無差別的に人を殺害を犯すのではないかと思うのです。
語り手≪私≫には、サイコパスに徹しざるを得なかった、なんらかのバックストーリーがありそうです。
そして、なぜそこまでして復讐を遂げたかったのでしょうか?
それを紐解くカギは、2つのDCコミックスにあると思います。
【考察】フーテッド・ジャスティスとVフォー・ヴェンデッタの共通点
ヴァース3で絞首刑用の輪縄をネックレス代わりにしている場面が登場しますが、これはなにもこの曲の歌詞にだけ登場するものではありません。
アラン・ムーア原作のDCコミックス『ウオッチメン』に、フーデッド・ジャスティスと呼ばれる覆面のヒーローが登場します。
そのヒーローのコスチュームの1つが、絞首刑用の輪縄。
フーデッド・ジャスティスはヴィランを罰するための象徴として輪縄をぶら下げています。
コミックスでフーデッド・ジャスティスは、自分の正義の名のもとにほかのヒーローたちと法で裁けない悪者を成敗するため自警活動を開始します。
正義と言えば、フーテッド・ジャスティスのように自分の正義を主軸にしてアクションを起こす人物が歌詞に出てきます。
それは、偶然か必然か、同じくDCコミックスで同じくアラン・ムーア原作の『Vフォー・ヴェンデッタ(原題:V for Vendetta)』に登場する謎のテロリスト≪V(ヴィー)≫です。
物語は、独裁者が支配する全体主義国家となった近未来のイギリスで、Vが体制を崩壊させ復讐を遂行するというもの。
『ウオッチメン』のフーテッド・ジャスティスと『Vフォー・ヴェンデッタ』のVとの共通点は何でしょうか?
どちらも自らの正義や正しさを振りかざし、法律で裁けない相手と戦います。
正義は、ときに暴走します。
このように、行き過ぎた正義感で過度の暴力をふるってしまうことを心理学でダーティハリー症候群と呼ばれます。
この名称の由来は、映画『ダーティ・ハリー』に出てくる主人公ハリー刑事が法で裁けない犯罪者を成敗するという、間違ったイメージからきています。
そしてもう一つの共通点は、フーデッド・ジャスティスは頭巾を、Vはガイ・フォークスの仮面を被って、素顔を隠しているということです。
この2つの共通点を歌詞に当てはめると、≪私≫は自らの正義のため復讐を遂行するために、サイコパスの仮面を被ったまともな人物ではないかと思います。
歌詞の中では、≪友だち≫や≪恋人≫からどんな危害を加えられたのかは明らかにされていません。
しかし、彼らを野放しにしておけない暴走した正義感から怒りの鉄槌を下した結果が歌詞のストーリーと考えることができます。
さいごに
「Bellyache」には「腹痛」以外にもう一つ別の意味があります。
その意味とは、「不平/不満/愚痴」です。
危害を加えられた相手への「不平や不満」が爆発して復讐行為を行った≪私≫ですが、怒りの鉄槌を下した後の反動や副作用とも呼べる「腹痛」は皮肉にも最終的に自分に帰ってきています。
ビリーと兄のフィニアスは、この曲を作詞するうえで、全く別の誰かになりきって、やったこともないことを書いたそうです。
そして彼女は「サイコパスの視点から殺人についての架空の物語を語っている」とインタビューで答えています。
しかし、なんだか一括りにサイコパスという言葉で片付けられないほどキャラクターの奥行を感じさせる歌詞でした。
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