自分の歌詞に意味はない、とノエルは言います。
ノエルの言うとおり、歌詞を深く考えなくていいのかもしれません。
ロックは、考えたくないことを忘れさせてくれます。
と同時に、ロックは人生で考えるべきことを考えさせてくれるものだと私は思います。
だからこそ、名曲でありながら「和訳したところで歌詞が意味不明」と言われている、Oasis(オアシス)の「Don’t Look Back in Anger(ドント・ルック・バック・イン・アンガー)」について、この記事で考えを巡らせてみたいと思います。
この曲は、テレビ朝日のドラマ『しあわせな結婚』の主題歌に採用されたことでも話題となりました。
さらに2025年10月25日(土)と26日(日)にオアシスの日本公演が控えています。
意味不明のまま聴いても名曲であることに変わりはありませんが、誰かの解釈を読んでさらに好きになることが、ひょっとするとあるかもしれません。
それぞれの歌詞パートにはどんな思いやストーリーが綴られているか、ノエルの発言をヒントに歌詞に込められている意味を考察してみたいと思います。
いろんな解釈ができるのが歌詞の魅力です。
一意見として、この記事が参考になりましたら幸いです。
【曲の概要】ノエルが語ったこと
ノエルは、「Don’t look back in anger」について次のように答えています。
So, it starts off as a song about no regrets, and then it’s ended up as this anthem of defiance about not being dragged down to the level of terrorists.
(最初は後悔しないという歌だったのに、最終的にテロリストのレベルに引きずり込まれないという反抗の歌になった。)
“テロリストのレベルに引き込まれない”というのは、2017年5月にマンチェスターで起きた爆発テロ事件のことを指しています。
数百人もの民間人が死傷した自爆テロの追悼集会で、1人の女性が「Don’t look back in anger」を歌い出しました。
(権利の問題でURLを貼れませんが、Youtubeで「Don’t look back in anger Manchester」で調べると動画を見つけられます)
集まった人々も、一人また一人と、彼女に合わせて歌い出す人が増えて、広場全体がこの曲の合唱に包まれたのです。
人生は楽しいことばかりではなく、つらいこと・許せないこと・苦しいこと、たくさんあります。
そんなとき、怒りや憎しみや恨みといった負の感情に身を任せたくなりますが、そのレベルに堕ちてはいけない。
憎しみは、さらなる憎しみしか生まないから。
だから「怒りで過去を振り返るな」という意味のこの曲は、追悼集会という場で大きな意味のあるものとなりました。
しかし、元々は“後悔するな”という曲。
さらに、インタビューでこう語っています。
“It started off as a song of defiance, about this woman: She’s metaphorically seeing the diary of her life pass by, and she’s thinking, ‘You know what? I have no regrets.’ She’s raising a glass to it.”
(この曲は、ある女性の反抗的な歌として始まった。彼女は比喩的に、自分の人生の日記が過ぎ去っていくのを見ながら、『あのね? 私には後悔なんてないの』と考え、グラスを掲げて乾杯してる。)
人は選択できる生き物です。
過去を振り返るときに、「あの頃は最悪だった」と否定的に捉えることもできるし、「そういうこともあったな」と一つの思い出として昇華することもできます。
どちらを選ぶかは自分で選択することができます。
心の安寧というのは、自分の選択によってもたらされる心の在り方です。
この曲の女性は、反抗心でもって過去に対する怒りの感情を手放し、前に進むことを選んでいます。
以上がノエルの発言から得られたことです。
それでは、各歌詞パートの意味を考察していきます。
【曲の解釈と考察】
この曲には人称名詞が3つ登場します。
この3人をどう捉えるかによって、いかようにも解釈ができると思います。
ノエルの発言や、タイトルの「怒りで過去を振り返るな」から、3人は以下のように解釈しています。
- I:歌詞の語り手。作詞作曲はノエルであるため、ノエル自身と解釈。
- You:怒りを抱えている受け手。歌詞全体から鑑みるに、幼少期のノエルと解釈。
ただし、サビに出てくるyouだけは歌詞の流れ的に“Sally”と解釈しています。 - Sally:サビにだけ登場する謎の女。特定の誰かではない架空人物だとノエルは語る。インタビュー内容から、過去を後悔しない人物の総称として解釈。
- [Verse 1]怒りよりも、もっといい場所教えてやろうか?
- [Pre-Chorus]そんなシケた面してんじゃねぇ
- [Chorus]いつまでも怒りに囚われるな、せめて今日だけは
- [Verse 2]あの場所にさっさと連れてけ
[Verse 1]怒りよりも、もっといい場所
ヴァース1の登場人物は2人です。
聞き手≪You≫と、語り手≪I≫。
私は、聞き手≪You≫=怒りに囚われている人、語り手≪I≫=聞き手を導くナレーター的存在として解釈しました。
怒りに囚われ、そのことで頭がいっぱいになった経験はありませんか?
怒りとは、過去の出来事に囚われていることで沸き起こる感情です。
相手にこんなことを言われたとか、相手にこんな仕打ちを受けたとか、怒りの源泉は過去の経験に起因します。
しかし、その感情は自分の捉え方次第で、手放すことができます。
歌詞冒頭で“心の眼の中に滑り込め”と語り手が説いているのは、怒りという表面的な感情のもっと奥に大事なものを見つけられるからではないでしょうか。
その大事なものとは、“playするのにもっといい場所”と比喩的に歌われています。
playは「遊ぶ」とも訳せるし「演奏する」とも訳せる単語ですが、いずれにせよ「自分にとってワクワクする場所」のことを表していると思われます。
どういうことかというと、過去というのはどんな視点で捉えるかで良いようにも悪いようにも思い出すことができます。
例えば、過去の恋愛を語る際に、「相手に浮気された」とか「相手に酷いことを言われた」とか悪い面だけを見て思い出すことはできます。
しかし、いくら浮気するような相手であっても、いくら酷い相手であっても、相手との思い出の全部が全部、悪かったはずはないでしょう。
「初めてデートに行った」とか「初めて手を繋いだ」とか、良い思い出も必ずあるはずです。
ただ記憶というものは、どうしてもイヤな思い出ばかりがいつまでも覚えている一方で、良い思い出ほうは時間の経過とともに薄れ、色褪せてしやすいものです。
だからこそ、冒頭の“心の眼の奥へ滑り込め”という歌詞が生きてくるのではないかと思います。
つまり、思いを巡らせて忘れてしまっているもっといい場所を見つけろ=良い思い出や記憶を呼び起こせ、と語り手は相手に促しているのではないかと解釈しました。
[Pre-Chorus]怒りを手放す大事な人の言葉
このパートは、ノエルにとって大事な2人の人物の言動を引用しています。
それは、ジョン・レノンと母親です。
“ベッドから革命を始める”は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1969年に行ったベトナム戦争に対する反戦活動「ベッド・イン」の言及だと言われています。
“俺の頭脳は調子に乗っていると言われたから”の部分も、ベッド・イン活動時に録音されたインタビューテープをノエルが買い取って、テープに入っていたジョンの言葉を拝借しています。
「ベッド・イン」というのは、世界中の報道陣をホテルの一室に招き入れ、反戦活動は暴力ではなく平和的なやり方で行うというメッセージを届けるためにホテルのベッドの上で取材に応じた活動のことです。
ジョンは、ベッド・イン活動の際に「調子に乗っている」と報道陣の誰かに言われたのでしょう。
誰かは分かりませんが、こんなことを言うということは、ジョンの活動に対して苛立たしさを感じていたことが言葉の端から伝わってきます。
しかし、ジョンは相手の怒りに対して怒りで反応するのではなく、ベッドから革命を始める、つまり平和的な手段を選びました。
暴力ではなく、平和的に。
怒りに目を向けるのではなく、楽しかった思い出や、怒りの先の未来を見据える。
同じ労働者階級出身のビートルズは、ギャラガー兄弟にとってヒーローです。
敬愛するジョン・レノンの言葉を拝借することで、ジョンからパワーをもらっているように感じます。
次の歌詞、“外に出ろ/夏は花盛りだ”は、直前の歌詞“ベッド”、つまり室内から屋外へ繰り出すという対比が面白くあります。
そして、このパートの最後の2行は幼少期に母親から言われていた言葉だと言われています。
母親ペギーは、毎年クリスマスに家族写真を撮っていたそうです。
ギャラガー兄弟を暖炉のそばに立たせて、写真を撮るときに「そんな顔しないでちょうだい」と決まって言っていたらしいです。
“そんな顔”とはどんな顔なのかは想像するしかありませんが、満面の笑みからは程遠い、バツが悪いような、不貞腐れたような顔をしていたのではないかと想像できます。
最後の歌詞、”そんなんじゃ俺の心を燃やし尽くすことはない”はどういう意味でしょうか?
「聞き手≪You≫=怒りに囚われている人」「語り手≪I≫=聞き手を導くナレーター的存在」だとして解釈したことは前述しました。
もっと具体的に言うと、「≪You≫=怒りを抱える幼少期や若い頃のノエル」「≪I≫=現時点の大人になったノエル」を指しているのではないかと思います。
ノエルは、幼少期にアルコール依存症の父親から虐待を受けていました。
10代で両親が離婚して父のもとを離れるまでの間、家庭環境は決して穏やかなものではなかったでしょう。
自分ではどうにもできない家庭環境。父親の暴力。
怒りの感情に身を投じやすい状況にはあったと思います。
だからこそ、“外に出ろ”の部分は「つらい家庭内から離れろ」と解釈することもできます。
外の世界はもっと楽しい。
このパートは、ジョン・レノンの言葉や、母に言われた言葉を通じて、怒りで身を滅ぼしてはいけないことを、幼少期の自分に説いているのではないかと思います。
怒りは、身を亡ぼすことはできても、心を燃やし尽くすことはできない。
最終的に、怒りではなく、音楽という心を燃やせる場所が見つかってよかったと思います。
ちなみに、ノエルが影響を受けた人物の1人デヴィッド・ボウイの1979年の曲「Look Back in Anger」は、若い頃の自分について書かれているのではないかと言われています。
これは偶然なのでしょうか。
[Chorus]サリーが、待っているもの
待てる女、サリーが登場します。
サリーは一体誰なのかを推測するファンが多いかと思いますが、サリーが誰かということは重要ではないと思います。
そもそも、サリーの部分は、リアムが”Sally can wait”と聞き間違え、ノエルがそれを採用したことで生まれた歌詞として知られており、特定の誰かではないとされています。
私が気になるのは、サリーは誰を?何を?待っているのかという点です。
彼女は何を待っているのか?
この部分を紐解くカギは、サビの冒頭“And so”です。
「それで、それゆえ」と訳せる接続の表現です。
前のパートから訳すと”(そんなんじゃ俺の心を燃やし尽くすことはない)だから、サリーは待てる”と。
このままでは支離滅裂で意味が分かりませんね。
[Pre-Chorus]は、怒りでは心を燃やすことはできない、怒りでは何も解決しない、と歌っているのではないかと解釈しました。
その点を踏まえると、怒りでは心は燃やせないから彼女は怒りという感情が過ぎるのを待っているのではないかと感じました。
怒りは、人間の自然な反応の一つですが、身を滅ぼしかねない危険な感情です。
怒りに反応しないようにするには、自分の感情に気づき、状況から離れ、深呼吸して怒りの感情が収まるのを待つことが大事です。

“通り過ぎる俺たちを見て手遅れだと彼女は知っている/彼女の魂は離れていく”の部分は、「俺たち(We)=語り手+新しい恋人」と仮定してサリーの失恋の曲だと捉えることもできますが、私は違う見方をしました。
「We=語り手+サリー」として、“通り過ぎる”というのは文字どおりの意味ではなく、2人のことが過去のものへとなっていくような、時間が過ぎ去っていくようなイメージです。
英語の文でよくあることですが、曖昧な一文を書いて、そのあとに補足説明する文章を書くスタイルがあります。
そのあとの“彼女の魂は離れていく”という部分は言い換え表現で、相手への気持ちが離れるというよりは、時間の経過でどんどん過去のものへとなっていくという意味ではないかと思います。
ノエル本人のインタビューの言葉を借りるなら、人生の日記がペラペラとめくられていって、過ぎ去っていくようなイメージです。
重要ではないと一旦は書きましたが、サリーは誰なのか。
「そんな顔しないで」と叱咤した母親なのかもしれないし、暴力ではなく平和的に活動を行ったジョン・レノンのことかもしれないし、恋人だった人なのかもしれないし、子ども時代の嫌な記憶を怒りで振り返らないと決心したノエル自身のことかもしれない。
誰なのかは分からないけれど、待てる人というのは感情に振り回されない強い人です。
サリーは、過去にどんな経験をしようとも、過去を振り返った時に「後悔はない」と断言できる強い人の総称として解釈しました。
そんな人が「怒りで過去を振り返らないで」と言うからこそ、説得力があるように思います。
[Verse 2]例のあの場所
歌詞のヴァース1とヴァース2というのは、おおむね対句になっているものです。
この曲のヴァース1とヴァース2にも、共通点があります。
それは、どちらも「場所」の話をしているという点です。
ヴァース1は“遊ぶのにふさわしい場所”でした。
ヴァース2は“お前の行く場所へ連れてってくれ”と歌っています。
その場所というのは、“誰も知らない、昼とも夜とも分からない場所”と補足説明されています。
一体、どこなのか。
実際に存在する場所ではなく、精神的な場所のことを指しているのではないかと思います。
もっと端的に言うと、ヴァース2で歌っている場所はヴァース1の場所の言い換えではないかと捉えています。
ヴァース1では不定冠詞「a」が使われているのに対し、ヴァース2では定冠詞「the」が使われているという点も、この解釈を支えています。
特定のtheを使うということは、話者と聞き手で共有認知されている場所です。
つまり、“「お前の行くあの場所=遊ぶのにふさわしい場所」へ連れてけ”と歌っているのではないかと解釈しました。
ヴァース1では時間が経過して忘れてたみたいけど、思い出したんなら、さっさとあの場所(いい記憶)に連れてけよ、と。
前述したとおり「≪You≫=怒りを抱える幼少期や若い頃のノエル」「≪I≫=現時点の大人になったノエル」と仮定して解釈しています。
後半の歌詞は、すでにロックンロールバンドをやっているノエルが、まだミュージシャンになっていない頃の子ども時代の自分に“あいつらは全てを投げ捨てるから/命を預けるな”と自嘲的に語っているように捉えました。
今や3人の子どもがいるノエルですが、自身の貧しかった子ども時代を振り返って「自分の子どもたちには俺みたいになってほしくない」と語っていた過去のインタビューと重なるものがあります。
さいごに:MVについて
この曲のMVは、誰も座っていない白い椅子の描写から始まります。
椅子は、一定時間とどまるために使う道具です。
宮本武蔵の有名な言葉に“居着くは死ぬる手なり”があります。
「居着く」とはその場にとどまるという意味で、つまり「何かに執着し囚われることは死を意味する」ということです。
誰しも、過去に嫌な記憶を抱えています。
だけど、いつまでもその記憶の中に身を置いて、居座ってはいけない。
嫌な記憶に囚われてはいけない。
怒りに執着してはいけない。
この曲を、怒りを抱える過去の自分を諭す曲だと解釈しました。

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