千尋とハクは、もとの世界で再会できたのでしょうか?
再会できたとして、千尋はハクに何と声をかけるでしょうか?
ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)の3rdアルバム『HIT ME HARD AND SOFT』に収録の「CHIHIRO」を聴き、ミュージックビデオを観て、私の頭の中に浮かんだこと。
それは、この曲とMVが、映画『千と千尋の神隠し』の続編を描いているのではないかということです。
この記事で歌詞と映像を考察していきながら、そう思うに至った過程をご紹介します。
いろんな解釈ができるかと思います。
一意見として、この記事がご参考になりましたら幸いです。
【歌詞考察】
[Verse 1] 大事な人と再会するときに思うこと
ヴァース1は、再会を想起させるようなはじまりです。
語り手が、≪あなた≫のいる場所に戻るとき、つまり再会を果たすとき、相手にどんな言葉をかけたらいいか分からず自問している様子が描かれています。
映画と関連させた解釈だと、千尋がハクのいる世界に再び戻って再会することがあれば、千尋はハクにどんな言葉をかけるだろうか、と千尋目線で書かれた歌詞とも捉えることができます。
誰かと久しぶりに再会する場合、「会いたかった」や「久しぶり」といった言葉がまず浮かびそうですが、千尋がもしハクに再会したとしても、どんな言葉をかけるのか想像できません。
その理由は、冒頭の歌詞の意味に含まれているからです。
冒頭の“私の愛をさらう”にはどんな意味が含まれているのでしょうか。
ひとつは、「ハートを奪われた」「恋に落ちた」のような、相手への愛が深いことを表すニュアンスだと感じられます。
もうひとつは、映画の内容を反映させた意味です。
千尋はもとの世界に戻るにあたって、ハクの記憶も湯屋での出来事も何もかも忘れてしまいます。
お互いに心を通わせたのに、その愛の記憶自体が最後にさらわれてしまうのです。
忽然と愛が連れ去られてしまったからこそ、再会時に何を言ったらいいのかと悶々とする様子が伝わってきます。
また、冒頭の英語表現は、映画の洋題『Spirited Away』の意味「誘拐する、神隠しにする、忽然と連れ去る」をもじった表現とも受けとめられます。
[Chorus] 心を開いてくれる?
コーラスは、語り手が何としてでも(相手の心の)ドアをこじ開けようとしている様子が感じ取れる歌詞です。
反対にそのお相手は、語り手を何とか言いくるめて、諦めてもらおうとしているように感じられます。
二人の行動が対比的であると同時に、語り手が相手の脅しに屈せず諦めずにドアを開かせよう、救い出そうとする姿勢が伝わってきます。
[Verse 2] 大事な人と再会するときに思うこと
ヴァース1もそうでしたが、ヴァース2も、そして後述するヴァース3も、すべて「再会」や「前の場所の戻る」ことを違う視点から歌っています。
このパートでは、カウンターで相手と再会したのに、その相手が別人のように変わり果てていたことを歌っています。
映画の話を拝借すると、不思議な世界に迷い込んですぐに、両親が料理店のカウンターで勝手に食事を始めるシーンを彷彿とさせます。
食べ続ける両親を残して、千尋は独り街を散策したのち再び両親のいる場所に戻ると、両親は豚になっていたという衝撃的なシーンです。
千尋の話を聞き入れず、節制なく欲望の思うままに食べ続ける両親と、自分勝手に振舞う歌詞の≪あなた≫を重ね合わせた歌詞です。
[Bridge] 閉ざされた扉
ブリッジは、相手のことをまだよく理解できない行き場のない感情や心の叫びをストレートに表現しているパート。
それは、コーラスパートで歌う、相手が心の扉を開けてくれないことに起因するのかもしれません。
このパートにも、映画のワンシーンを彷彿とさせる部分があります。
それは、大量の紙の呪いに攻撃されている白竜を見た千尋が、まだ白竜=ハクだとは知らないのに、「ハク」と思わず呼びかけるシーンのことです。
千尋はハクに助けてもらってばかりでしたが、ハクが白竜であること、裏で湯婆婆の命令で盗みを働いたことなど、ハクについて知らないことばかりだったので、そういった千尋の状況も反映しているのではないかと思います。
[Verse 3] 本当の姿を見分けられること
ヴァース1では未来でハクと再会するときのことを想像して歌い、ヴァース2では両親がちょっと目を離した隙に変わり果てていたことを反映させた歌詞だと解釈しました。
ではヴァース3は、誰との再会を暗示しているのでしょうか?
ハクと両親、その両方と言えるのではないかと解釈しています。
このパートは、千尋が労働契約を結べたはいいものの、睡眠も食事もろくに取れずに弱っているところに、千尋にとって大事な3人(ハクと両親)にまた会うことで、頑張る力を取り戻す一連のシーンを表しているのではないかと思います。
このシーンの前夜、千尋はエレベーターでハクに冷たい態度を取られてしまいます。
Wikipediaのハクの紹介文には、以下のことが書かれています。
湯婆婆により体内に虫を入れられた時から、湯婆婆が起きている夜は冷たい性格に変わり、彼女が寝ている昼は元の優しく賢い子に戻る。冷たい性格の時は、「ハク様と呼べ」と命令したりする。
『千と千尋の神隠し』(Wikipedia)より
つまり、ハクは湯婆婆が潜ませた虫よって二つの顔を持っていました。
両親の今後のことや、湯屋で働くこと、ハクの冷たい態度。
一度にいろんなことが起きて、眠れずに震えていた千尋を救い出してくれたのが、優しい顔のハクです。
優しいハクは、布団の中で震える千尋を「両親に会わせてあげよう」と提案してくれます。
このシーンは前夜のハクとは対比的なもので、「優しいハクとの再会」ともいえます。
そして、千尋は豚になった「両親と再会」するのです。
千尋は、目の前にいる豚が自分の両親だとなんとなく見分けて、話しかけていました。
豚になった両親、冷たい性格のハク。
もとの人間の姿の両親、本来の優しい性格のハク。
相手の本当の姿を見分けられることは千尋にとってもビリーにとっても試練であり、本気で求めないと相手の本当の姿も分からないし、ドアも開いてもらえない、と思わせるパートです。
[Outro] 吐露される弱音と弱さ
このパートは、現実の厳しさや未来に待ち受ける不安要素を反映させたのではないかと思われます。
歌詞の≪あなた≫は、“全部罠だ”とか“戻ってこられるか分からない”と、ネガティブな発言をしています。
映画の序盤、千尋が何度も体を縮こませてうずくまっているシーンがあります。
両親が豚と化し、帰り道までなくなって、不思議な世界から消えて無くなろうとしているシーン。
湯屋の中庭で、ハクと別れ、独り行動をしなくてはいけないシーン。
リンが押し入れで千尋用の服を探してあげているときに、千尋は腹痛に襲われうずくまるシーン。
豚と化した両親と対面するも、現実に耐えられずに逃げ出して花畑の前でうずくまるシーン。
どれも、千尋の大事な転換点であり、踏ん張りどころです。
そんな人間の弱さをアウトロで表現したのではないかと思います。
【Music Video考察】
なぜビリーは髪をほどく?
MVは、薄暗い廊下のシーンから始まります。
そこに、髪を一つに結んだビリーが登場。
これは、映画の主人公・千尋の髪形を彷彿とさせるビジュアルです。
しかし、髪の毛はほんの数秒でほどかれ、それ以降のビリーは髪をおろしたまま。
このMVには、このあとにもビリー=千尋と思われるシーンがたくさん登場します。
しかし、なぜビリーは千尋の外見的特徴である一つ結びを早々にほどいたのでしょうか。
ビリーは、インタビューで「千尋の視点と自分の視点を混ぜた感じにした」と語っています。
なので冒頭で髪をほどく理由は、千尋を完コピした作品ではなく、自身のエッセンスを入れるためなのかもしれません。
もう一つの視点として浮かんだことは、このMVが映画の続編を描いているのではないかという考えです。
それは、歌詞を解釈しても思ったことです。(Verse 1参照)
歌詞の冒頭、「前にいた場所に戻ったとき」と歌っています。
前にいた場所とは、映画で表すと、ハクのいる不思議な世界のことです。
つまり、千尋と共鳴関係にあるビリーが、ハクの世界(男のいるビル)へ再訪し、今度は彼を救い出そうとしているのではないかと解釈しています。
男との言い合いシーン
千尋が初めてハクに会ったとき、ハクは「ここへ来てはいけない、すぐ戻れ」と強い口調で突き返します。
MVの言い合いシーンは、この場面のオマージュではないかと思われます。
映画と違うのは、千尋のように従順に来た道を戻らずに、千尋に扮したビリーは男に近づこうとしています。
心を閉ざしている彼をなんとか救い出して、今度は二人で外に出ようとしているように見えます。
手をつないだ二人が逆走するシーン
言い合いの末、二人は対峙し、つかみ合うシーンがあります。
そして、急に二人は手をつないで、廊下を逆走します。
初見では、展開が急で何を意味しているのか、さっぱりわかりませんでした。
この短時間にいったい何が起きたのか?
よく観ると、つかみ合いのあと、二人の黒い影が、額を突き合わせていることがわかります。
額を突き合わせるシーンといえば、映画にも登場します。
これは、千尋がハクの本当の名前を思い出して、額を突き合わせるシーンの完全なオマージュです。
映画の千尋とハクのように、心を通わせて、二人で外に出る覚悟を決めたシーンではないかと思われます。
ビリーと男の服装の変化
二人は一緒に、光に包まれた扉を開けます。
カメラが激しく揺れ、高架下、電柱、コンクリートといった無機質な映像の中に、木々や花々といった自然なものが差しはさまれ、高架下の前に佇むビリーが映ります。
現れたビリーの姿は、ビルにいた時とは、違う恰好をしています。
つまり、ビルにいた時と外にいた時では、時間が経過しているのか、もしくは、そもそも次元的な意味で世界が違うのかという考えに至ります。
高架下が、映画でいうトンネル的な役割を果たしていると言えます。
注目したいのが、その後のビリーと男の展開です。
二人は、手を繋いで一緒にビルから出ているので、顔見知りのはずです。
しかし、仲良くビルから抜け出して外の世界で再び出会ったのに、近寄るどころか、今度はビリーが逃げ、男が追いかけるという、立場の逆転した構図が生まれています。
これは、トンネルを通ると湯屋での出来事を全て忘れてしまう、という映画の設定になぞらえたものだと推察しています。
つまり、ビルを脱出したはいいものの、高架下を抜けたことで男の記憶が消えてしまい、歩み寄る男に不審を抱き、ビリーは逃げ出してしまったのではないかと考えています。
再び、取っ組み合いのシーン
ビリーは、男に追いつかれ、つかみ合い、取っ組み合うシーンがあります。
ここは何を意味しているのでしょうか?
私が浮かんだのは2つの考えです。
1つは、「ビリーに記憶を思い出してもらうため」です。
前述した考察のとおり、ビルという異次元世界からもとの世界に戻ってきたことで、ビリーは記憶をなくした状態。
かたや、男はヴァース1の歌詞“決して君の名前を忘れない”と宣言してあるとおり、記憶は失っていない状態。
だからこそ、ビリーのほうへ駆け寄り、何とかして記憶を思い出してもらおうとしているのではないかと思います。
もう1つの考えは、「千尋がハクの背中に乗っているシーンのオマージュ」です。
千尋は幼い時に川で溺れかけたことがあり、その川の神であったハクの背中に乗せてもらって浅瀬まで運んでもらった、というエピソードがあります。
アルバムのジャケット写真の映像(水の中に落ちていくビリー)が、このつかみ合いの間に差し挟まれることもあって、溺れかけているビリーを男が必死で助けようとしているのではないかと推察しました。
最後に微笑むビリー
激しい取っ組み合いの末、最後のほんの一瞬ですが、映像が終わる直前、ビリーが微笑んでいるように見えます。
これは、ここに至るまでに書いた考察の流れから、彼のことをようやく思い出したから微笑んだのではないかと思います。
さいごに
異世界とつながる出入口、トンネルは映画で重要な役割を担っています。
映画を再現するにあたり、素人考えだと映画と同じトンネルを使った方が雰囲気が出そうですが、ビリーはそれをせずに、高架下の前に登場します。
ビリーの感性で映画の世界を再構築したところがクールで現代っぽくて、私のお気に入りのシーンです。
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